about

焼け残った記憶を拾い、花を手向け弔う。その過程で生まれでたある一つの結論、ある一つの完成のかたちが、絵画だったり、物語だったりする。2017.12.18 マツウラミオ

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50番目の地球

新宿で揃えた文房具を玄関に置き、歩いて十五分の文房具屋に向かう。カタログを引っ張り出して商品を探してもらった手前、何も買わずに店を出るのが心苦しく、製図用のインクだけ注文したのは一週間ほど前のことである。とうに日は暮れ、坂で汗ばみ、今さらながらこの二度手間を後悔した。薄暗い道中、自分の手の甲くらいの大きさの蛙がのろのろ歩道を横断しているのを危うく踏みそうになった。

カウンターには先日注文を託けた主人の妻と思われる品のよい女性が掛けており、名乗るとすぐにインク壺の収まった箱が用意された。小さな箱は、エゴにほかならない良心が招いた徒労にとうてい釣り合わない物量に思われ、疲労感を倍にした。頭半分で今日の残り少ない時間でできることや翌日の仕事のことを考えながら会計を済ませていた時、夫人の思わぬ一声に面食らった。

「これ、スーパーボールのくじなんですが」

他意のないもの言いであった。差し出されたトレイには、縁日でよく見かける金魚のようにくじが散らばっている。二十代半ばにしてスーパーボールのくじを引けというのか。いや、祖母が私のことを未だに「みーちゃん」と呼ぶように、七十近い婦人からすれば、十代も二十代もさしてかわらないのかもしれない——結局、適当に一つ選んだ。

「50番ですね」

カウンターの裏の壁に吊るした厚紙から夫人は勢いよくモノをひっぺがした。その手からぽとんと、雲のように白く霧がかった青いスーパーボールが落ちてきた。夫人の喜ばしい顔を見る限り、私は自分が想像する以上に嬉しそうに見えたらしい。思わぬおまけがついてきたことばかりでなく、その色や模様から素直に「地球だ」と感想が出た自分に驚いた。帰路、小さな地球を街灯の光にかざしたりポケットの中で転がしたりするうちに、細かいことで苛立っている自分が馬鹿らしくなるのだった。