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焼け残った記憶を拾い、花を手向け弔う。その過程で生まれでたある一つの結論、ある一つの完成のかたちが、絵画だったり、物語だったりする。2017.12.18 マツウラミオ

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いる

厚い雲が垂れ込めている、あるいは明け方であるゆえに辺りは暗がりに深く沈み、彼方から僅かに洩れた光がかろうじて風景に陰影をもたらしている。山並みを望む小高い丘に人一人分敷かれた柔らかそうな布の上には、生気が損なわれた男の白すぎる肉体が横たわり、その傍には、この世の闇を一点に濃縮したような真黒の人影が跪坐き、俯いている。

イリポリット・フランドラン作『ピエタ』である。ゴルゴダの丘の十字架から降ろされたキリストと彼に寄り添うマリアの姿が描かれたものは総じてピエタと呼ばれ、西洋絵画や彫刻の主題としてかつては用いられた。先日ふとこの絵が見たくなったのだが誰の絵か思い出せず、ああ、あの画家ではなかろうかと最初に思い当たったのはフランドランではなく、フェルディナント・ホドラーであった。当然だが、彼の名前とピエタで調べても目星いものは見当たらず、学生時代に図書館の画集を幾冊もカラーコピーして蒐集したファイルを漁り、その中からようやく該当の絵を見つけ出した。宗教画に疎いので少し調べてみると、このピエタが一般的なピエタと比較してかなり異色の作品であることを知った。無論同じ主題であっても表現は作者によって大いに異なるものだが、フランドランのピエタの異質さは一線を画している。彼のピエタほど、得も言えぬ不気味さを含んだものは見当たらなかったのである。不気味なのは、マリアである。暗黒とほぼ同化する彼女の像は濃く影を落とし、簡略化された顔には目鼻口が描かれていないため表情は窺い知れない。だが、息絶えて横たわるキリストの、仄かな光を受けた安らかな顔を見つめるその眼差しだけははっきりとわかる。これが、我が子を失った母親の強い慈悲を表しているだけでなく、人間を超えた力を宿すものの大いなる存在を感じさせ、その崇高さが恐ろしく、不気味で、鳥肌が立つ。

では、ホドラーのなんの作品と勘違いしていたのか。1889年に描かれた『夜』である。複数の男女が同じ空間で寝静まっている中、一人の男の腹上に真っ黒な人影が蹲(うずくま)っている。黒い絵の具で塗られた人と思しきシルエットは頭から布をすっぽりと被ったような、身体の構造が不明な輪郭をしている。あまりの恐怖に男は表情をこわばらせ、目を見開いている。

ピエタとは全く異なる主題であるが、その構図と、得体の知れない存在にこちらが畏怖せずにはいられない感覚がいずれの絵画にも共通しており、意図せずとも記憶の中で結び付けられたのだろう。