about

焼け残った記憶を拾い、花を手向け弔う。その過程で生まれでたある一つの結論、ある一つの完成のかたちが、絵画だったり、物語だったりする。2017.12.18 マツウラミオ

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掌の神託

閑散期で客足は絶え、会計カウンターで暇をしているとMさんが「マツウラさんは宗教はなんですか」と訊いてきた。仏教ですか、道教ですか、色々あるじゃないと面白そうに続けるMさんに対して、質問の真意が掴めず回答に窮した。

Mさんは日本語のみならず中国語と英語が堪能なトリリンガルで、詳細は知らないが台湾育ちらしい。彼女の故郷では、旧暦の十五日に酒や食べ物などのお供え物を用意して神様にお祈りをする慣習があるらしく、長らく日本在住のMさんもまた、それを欠かさないという。宗教は何かと訊いたのは、彼女が自分の話をするための単なる前振りで、こちらの深読みは取り越し苦労であった。祖母が毎朝仏壇に線香を供えて手を合わせる姿を思い出しながら、それに近い感覚なのだろうかと推測した。

Mさんはカウンターの引き出しを開けると百円硬貨を二つ取り出し、それぞれ左右の掌に乗せた。たとえば、これは今、表と裏が出ているでしょう、それは、Yesのサイン。これがどっちも表だったら、神様はにこにこしている。これが、反対に、どっちも裏だったら、神様はすごく怒っている。

御神籤(おみくじ)よろしく、神様から神託を授かるもので、台湾では誰しも日常的にやるものだという。Mさんは硬貨で代用しているが、専用の小道具があり、それは掌大の三日月型で、転がして使うのだという。

繁忙期が終わってすぐの、別段変わったことのない日のこと、Mさんは、普段の自分では考えられないようなミスが続いたらしい。彼女はいたく反省し、仕事の内容やその日の行いを振り返るも、何かがおかしいと感じ、もしかすると神様を怒らせるようなことをしてしまったのかもしれないという結論に至った。そして伺いを立てたところ、コインは両面裏を向いた。

神様が怒っている。Mさんは慌てて、先日も欠かさずお祈りをしたのになぜ、お供えものがお気に召さなかったのだろうかと考えを巡らせた。だがのちに、暦を読み間違えており、お祈りが一日遅れていたことがわかった。「このことだったのですね」と再び伺うと、回答は “Yes ”であった。

その後は良いことが続き、コインは二つとも表が出るようで「面白いでしょう」とMさんは笑った。確かにオチもあって面白い話だが、それだけでなく、少し怖い気もしていて、興味深かった。

神筈(しんばえ)、ポエなど、複数の呼称や表記があるが、その多くがMさんのいうように三日月型をした木製のもので、光沢のある鮮やかな朱塗りである。こうした神秘的な装いゆえ不思議な力が宿ると言われればそれらしい気もするが、信仰の心がなければ、ミーハーな心を擽(くす)ぐるフィクションの産物でしかない。この蠱惑的な小道具を手にしてみたいという気持ちも湧いたが、神託に依頼する気持ちの乏しい私にはあまり意味をなさないだろう。それにもしそのような力に頼りたいと思うならば、ものはなんだっていいのだ。なにしろMさんは、百円硬貨で神様と意思疎通できてしまうのだから。